高校時代辛すぎて挫折した話

今回はちょい暗い話になってしまうけど高校時代についてちょこっと話させて欲しい。

 

簡単に言うと高校が辛すぎて挫折したお話

 

私は県で3番目に頭のいい高校に入った。その高校はマジに進学校で京大生は普通に毎年排出してるし、数年に1回東大生も排出してる。

 

その高校には死に物狂いで勉強して入った。中学校にいた人達が嫌すぎたから勉強して引き離してやろうと思ったから。

 

実際毎日一日10時間以上勉強して、高校受験が終わった後は蓄積された疲労がどっと来て2週間寝れなくなったし物も食べられなくなった。

 

そんな思いをしてやっと入った高校。しかし、テストの点数は他の人と比べても低かった。というか私より点数の高い人を見つけることができなかった。

 

県トップの高校に初めは入ろうとしていたが成績的に無理そうだったのでこの高校に入ったって言うやつ、ここに入るのが自分の学力的に合ってる、周りはそんなヤツらばっかりだった。どこを聞いて回っても私みたいに死に物狂いで努力して入ったヤツは見つからなかった。(本当は俺勉強してないって言いながらくっそ勉強してたパターンかもしれないが)

 

そんな状況から高校に入ってから直ぐに私は才能で明らかに差があるということを察してしまった。塾講師や学校の先生は生徒の頭の良さはそんなに差はないと言っていた。でも私は肌でこいつらとは違うと感じ取ってしまったのだ。そうなってしまったらどんなに偉い人がどんなことを言おうとただの戯言と化す。でも私は努力すればなんとかなるとまだ思っていた。現に圧倒的な努力でこの高校に入ったのだから。

 

高校に入った私は東○という塾に通うことになる。この塾はビデオを見て学習して行くもの。自分で週の授業計画を立ててそれを実行してゆくシステムだ。ここで努力すれば私も頭が良くなっていい大学に行けるだろう。私はそう考えていた。

 

それから高校といえば部活動。中学は中学でクソだった私はそんな現実を変えようと高校デビューを目論む。この学校球技大会があるのだがその種目はバレー。中学では男バレが無かったのでこれなら初心者の私でも活躍できると思い、バレー部に入った。

 

この時は部活は終わるのは6時30分だし、東○も7時から8時半までいればいい。そこから家に帰ってごはんを食べて宿題やって寝ればいいと考えていた。

 

しかし現実は上手くいかなかった。

 

まず部活。私の中学校は田舎にあったので男子バレー部などは無かった。しかしほかの学校にはあったらしいのだ。さらにさらに、この学校進学校にも関わらずスポーツでも市の選抜に選ばれるような奴らが多く集まっていたのだ。当然バレーの上手い奴もいたし、当然彼らもバレー部に入った。

それから塾。○進の授業は週に自分で組むことが出来ると言ってもその授業数はべらぼうに多い。その授業数をこなすとなると週に授業を10コマ受けないと行けないほど。授業は一コマ120分。授業のスピードを上げることが出来るのだがそれでも80分はかかる。さらに授業が終わった後にはその授業が理解出来たかどうかの確認テストを行わないといけない。これに受からなかったら次の授業を受けることが出来ないし、受からなかったらペナルティとして最低30分はそのテストを受けることが出来ない。なので、計画どうりに授業を進めることがかなり難しかったのだ。

 

でも私には努力があった。中学校の時は部活から帰ってからも4時間勉強したし、部活も初めは初心者だったがレギュラーまで上り詰めることが出来た。

 

しかしこの先努力すらも出来ないようになってしまう。

 

私は中学の時から英語が嫌いだった。それが致命的だった。高校の英語の授業はグラマーとコミュニケーションがある。グラマーとコミュニケーションは週に3コマずつある。コミュニケーションがある時は単語テスト、グラマーがある時は文法テストがあった。これがやばかった。元々英語が苦手だった私は英単語を覚えることが死ぬほど苦手だった。私は他の人よりも英単語を覚えるのにたくさんの時間を費やす必要があったのに他の人よりも覚えが悪かった。なので結構な確率で単語テストは不合格になってしまった。

 

この単語テスト不合格がじわじわ努力しても無駄ということを感じ取らせてしまった。

 

突然だが、私の家は高校からかなり遠かった。直線距離にして9キロ。途中には小高い丘の上にあるトンネルを通らないと学校に行けなかった。実家周辺は田舎だったので電車などなかったしバスは徒歩20分先のバス停から1本しか無かった。なので私は自転車で通う必要があった。

 

そんな事情もあり当時は朝6時に起きて、6時半に出発、朝学校に着いたら単語テストの勉強。授業が5時に終わると7時まで部活をやり(部活が終わるのは6時30分なのだが守られることはなかった)7時半から10時まで塾で勉強をしてから家に帰り、ごはんを食べて12時から学校の宿題と単語テスト勉強をやって寝るのは早くても1時という感じの生活だった。

 

部活は当然先輩がメインだったのでボール拾いとランニングしかしていなかった。

そんな中で球技大会のルールが発表された時はショックだった。なんとルールの中にバレー部はコートに1人しか立っては行けないというルールがあった。私のいたクラスはバレー部が多かったので最低一チームはバレー部は被ることになった。辛うじて高校デビューに成功した私は運動神経のいいチームに入ることが出来たがこのチームには他にバレー経験者が入ったので私はチームを盛り上げるお調子者の役割に転じた

 

そんな感じでなんとも劣等感を感じながら球技大会が終わり、過酷な日々を送っていった。そんな中夏休み前の中間テストがやってきた。中間テストは必死で頑張ったものの、順位は360位中190位くらいだった。これがこの後の高校生活の中でも1番高い順位になった。

 

夏休みはさすがに楽になるやろなぁと思ったけどそんなことはなかった。東○が本気を出してきたのだ。夏休み中は夏期講習と部活で埋め尽くされた。何より辛かったのが○進の夏合宿だ。あまりに辛く思い出したくないが、常に順位が表示され、テストを受けさせられ、一日14時間も勉強させられた。しかし辛いだけで何も得るものはなかった。あれで何か良くなると思ってんのかな?マジで。あれで学生にいい影響があるって考えたやつは頭悪すぎる。

 

そして夏休みが終わるとまたくっそキツイ日常学校待っていた。単語テストは落ちるし、テストの順位も悪くなってゆく。ここら辺で実は努力しても無駄なのではと薄々思い始めていったが、私と同じような生活を送っている人はいるし、もっと努力している人はいるから私の努力が足りないんやと思い努力を続けた。

 

そんな報われない努力を続ける中で冬に大きな転機を迎えた。

 

友人が昼休み中にポケモン対戦をしていたのだ。それを見て、いやー面白そうやなぁと思った私はポケモン対戦をやってみることにした。

ポケモン対戦は死ぬほど面白かった。しかも結構勝つ事が出来た。現実とは違い考えれば考えるほど楽しくなるし、勝ち数も伸びてゆくことが楽しかった。現実と違い、ゲームの中では努力すれば報われたのだ。

 

そこからは家に帰って勉強が終わった後のゲームだけを目指して頑張ることが出来た。

 

そして2年生になった。この時は家に帰って、勉強してからゲームしていたので睡眠時間は3時間になっていた。成績も200位になって行ったし、きつくなって単語テスト勉強もサボりがちになって行った。すると自分はできなかった、落第したという結果が残る。現実とゲームの成績のギャップにより努力しても無駄という事実がハッキリと見え始めてくる。

 

そして成績が落ちに落ちて順位が200位後半になった2年生の11月頃私はハッキリとこう思うようになった。

 

「あれ?この生活辛くね?高校辛くね?」

 

そこから学校に行くのが苦痛になっていった。今までどおりの生活をはたから見たら続けてはいたがどんどんさぼってゆくようになった。

 

そして3年生になった。すなわち受験生になったのだ。授業を担当する先生も今までとは違い厳しくなったし、塾の先生もこれからが本番やと意気込んでいた。そんな学校の先生も塾の先生も両方共通そて言っていることがあった。

 

「運動部は部活が終わってから急激に伸びる」

 

私が部活で活躍できたかというとそうではない。私の代は人がかなり多かったし下の代にうまいやつがたくさん入ってきたのだ。だから私は二年になってもベンチに入ることはできなかったし、試合というものをほぼ全く経験したことがない。試合に出ている人たちは勉強のストレスを部活で発散できたかもしれないが、私は逆にストレスがたまる場になってしまった。一緒に部活をやった仲間はかけがえのない最高の友人となったが、部活でバレーの楽しさを知ることはできなかった。

 

3年になったら逃げることしか考えていなかった。逃げるために楽して生活できる方法をかたっぱしから調べたし、どうやって学校をやめるかも考えた。当時は宝くじが6月ごろにあたり学校をやめてどこか遠い場所に行くという人生設計を本気で建てていた。

 

当然だが宝くじは当たらなかった。それどころかさらに悪いことが起こった。私と同じく学年最下位クラスの人たちの順位が急に上がり始めたのだ。彼らは先生たちが言った通り部活が終わり一気にも伸びたのだ。さらに、部活が終わってからやっと勉強し始めたとも言っていた。彼らは今まで努力していなかったからびりだったし、伸びた。しかし私は努力してきた結果が学年ビリクラスだったのだ。

 

これにはかなり絶望したしつらかった。しかし一方でいいこともあった。夏休みに入ったことだ。

 

夏休みは学校はなく、家に人もいなく、塾は5月ごろからボイコットしていたので私に勉強しろというものはいなかった。私は今までの勉強、部活、ストレス、寝不足からなる疲労を夏休みで癒すようにただただ、遊んで暮らした。結果として夏休みの間は1秒も勉強しなかった。しかし実際には受験生。この夏休みは勉強しないといけないのだ。夏休みが終わりほかのみんなは力をつけているのに私だけさらに置いてきぼりにされる姿を想像すると恐ろしかった。

 

夏休みが過ぎると私はついに学年で最下位になった。授業これは答えれて当然という問題もわからなかったからどの授業でもあたらないでくれと願ったし、グループ学習ではあらを出さないように必死になった。

 

このころは本当につらかった。でもほかの人には私の辛さは全く伝わらなかった。他からは勉強から逃げてるだけ、世の中にはもっとつらい人がいる、みんな辛いんだから我慢しろという風に見られた。つらかったが私よりつらい人もいる、私はこんなにつらいのにそれすらほかの人に負けているのかと思い絶望した。

 

実際このころは全く勉強していなかった。ひびのせいかつが辛すぎたためアニメを見て現実逃避をして、ストレスをいやす必要があった。とても勉強することなんてできなかった。このころは学校が牢獄に見えていた。

 

私は勉強せずにいたが周りは違った。学校の先生は今はつらいが勉強していい大学に入れば将来は明るくなるといったし、学生は時間がたつにすれ休み時間でも勉強の話以外はしなくなっていった。学校での居場所は完全になくなったし、勉強していい大学に行かなかったらこれからの人生お先真っ暗だと思わざるを得なかった。今ですらあまりに辛いから逃げているのに逃げた先もいいことは何もない、と私は思い絶望した。

 

自殺も考えたが私は生きることにした。あまりの現実の辛さに絶望する一方で私には思考と将来のビジョンがあった。これがなかったらおそらく自殺していたと思う。一つ目の思考は「私がほかの誰かのために最下位という汚れ役を取っているおかげでお前らは自身をつけている、俺のおかげでお前らは自身をつけているのだから感謝すべきだ、俺は立派だ。」と考えていたこと。二つ目の思考は自転車で家に帰る間に見る山や、川、夕日寄り道する本屋の雰囲気が好きでちょっと別の方向を見ると違う現実が存在していると気が付いたこと。また将来のビジョンは夏とほぼ同じで、年末ジャンボは当てて海と東京の近い町で暮らすので勉強をしなくても問題ないというビジョンを持っていた。(冗談だと思うだろうが当時は本気で考えていた)

 

そんな思考とアニメや漫画ゲームと親に支えられて何とかセンター試験まで自殺という選択肢を選ばずに済んだ。センター試験会場の雰囲気はクソオブクソオブクソだったが何とか耐えきった。(一応センター試験勉強はした。一週間前にスタートして一日30分だけ勉強した地理だけだったが。)

 

それからは自由登校期間になる前から学校をさぼりまくった。センターが終わったことでだいぶ気持ち的にも楽になった。週に1日しか行かなかった。今の学力にあったところが東海大学だったし湘南にキャンパスというので運命を感じたので東海大学を受けた。ろくに対策はしなかったけれど受かると思った。

 

そして二次試験のテストを受けて私の高校生活が終わった。二次試験が終わったときの気持ちは言い表すことが難しい。ほっとしたような、うれしかったような、ざまぁみろというような気持だった。

 

 

これが私の高校時代です。本当につらかった。もう二度とこの経験はしたくないし、すべきではないと思っていますが立ち直った今はこの経験で得たものは大きかったと思います。高校生活で満身創痍になった状態からどうやって立ち直ったかもそのうちブログにしたいと思います。

 

それではノシ